会議「みんなで決めよう!」の罠
今の時代、トップダウンの社内政治は流行りません。やはり、「会議は皆の意見をダイナミックに聞けるブレインストーミングで、今後の流れを決めましょう!」
それをしたら、ただの「船頭多くして船 山に登る」になってしまうことが多いです。だからといって、体育会系の「俺について来い」は、良い結果を見たことがない。
結論から言うと、良い結果を出したのは、トップ または その補佐が社内の声を一つ一つ聞いていくことです。
スコ丸は、資料作成や情報処理は割と得意な方なので、報告書作成なんかは早めに終わることが多いです。そして、作業が完了したからと言ってスマホをイジったり、ゲームしたりするわけにも行かないので、他の部署にお邪魔します。
そして、その業務の職位に関係なく皆に「今の仕事で面倒なこと」とか「この会社のココがおかしいよね」などの世間話をして回ります。
初めのうちは、本当にただの世間話の時間つぶしの話でした。
しかしそのことにより、社内会議で「皆が本当に思っていることを言っていない」ことに気づいたのです。では、何を言っているのか。
「それなりに信頼性が合って、一見良さそうに思えること」を会議で言うのです。当然ですけれど。
ということは、会議では「本当に思っていること」ではなく「それなりに皆が良さそうに思えること」とか「当然のこと」を発言する場になっているのです。
良いなと思うことは、大体皆思いつく陳腐なことです。それよりも、業務中で閃いたニッチなアイデアの方が貴重です。
しかし、その素晴らしいアイデアは「少し聞いてもよくわからない」とか「応用性がよくなさそう」などで言いにくいものです。
そんな「皆の当たり前」を言ったり、最悪「誰も何も言わない」会議で、やたらと「みんなで決めること」を重視する方がよくいます。
ワンマン経営者に比べたら素晴らしいものですが、今まで言ったような会議の中で「みんなの意見」なんて反映しようがありません。だって、みんな自分の意見じゃないから「みんなの意見」ではないのですから。
そこで、僕は世間話の中で「これは必要だ」と感じたものを企画書にして出してみることにしました。勿論、僕の業務ではないので色々と大変でしたが。
しかし、その業務アイデアはどれも非常によく、担当者の業務時間の短縮に寄与できたようです。
ここで、僕がやったことは皆の意見を吸い上げて「良さそうなもの」を具現化しただけですが、「みんなで決めた」わけではありません。
僕の上げた「他人のアイデア」も、逆に業務負担になってしまえば僕の責任になってしまいます。
何が言いたいかと言うと、「みんなで決める」は責任の所在の隠れ蓑になったら全く意味が無いということです。
なにより、「みんなで決める」は間違いです。「決めるのは一人」です。
ですから、決める人が色々な意見を吟味して一気に決める必要があるのです。
まとめとして
会議の「案出し」は失敗に終わることが多い。それよりも、皆がリラックスしている状況でアイデアの一本釣りをする方が効率的だ。
決定事項は、みんなで決めても意味がないときがある。一人が決めてみんながついていくほうが集団によっては良い場合もある。
また、採用された案を出した人や部署が奮起するキッカケにもなる。
まあ、そんなことを言っても、失敗したときの責任のとり方なんて知らないんですけどね。とりあえず、誤っておけば良いかな。