スコ丸ブログ

誰もが快適に生きるためのブログ

球技から逃げていた僕が某掲示板で救われた話。

f:id:sucomaru:20191207200558p:plain

 突然ですが、マネジメントとは社会人だけのものなのでしょうか。

 僕はもっとマネジメントの考え方を自省として取り入れることで、よりよい生活ができると思っています。

 今回は、いわゆる”自分語り”ですので、苦手な人は見ないでください。

 どんな話かというと、「運動音痴だった僕が、球技を練習して普通の人程度になれた」という話です。運動音痴ですと、今の時代、イジメの対象になったり、体育がつまらなかったりすると思います。そうなると、「スポーツ=悪」と思ってしまいがちですが、スポーツは努力と成果を観察するにはちょうど良いと思います。それは勉強や読書と非常によく似ている気がするのです。

  生まれてすぐにドリブルやリフティングができる赤ん坊が居ないように、球技は経験の積み重ねです。経験則的に経験式1「[練度]=[才能]×[経験時間(※1)]×[練習効率](※2)」の法則が成り立つと思います。

 

※1:経験時間とありますが、これは「フロー状態で行った時間」と思ってください。漫然と行う練習に意味はありません。

※2:効率は非常に大事です。しかも、効率的な練習というのは個人差があります。マラソン初心者にフルマラソンの走り方を教えても速くならないどころか、怪我の元です。個人の練度、得意不得意、才能に合った効率的な練習を採用するべきです。

 

 さて、この方式でいうと、小学生時代にとてもスポーツが上手だった子供がいませんでしたか?大人になってからわかるのは、あのような子は常にボールが近くにある状態で、ボールで遊ぶうちに上手くなったり(経験式1の才能が大きい)、子供が楽しく遊んでいるときはフロー状態ですから、(経験式1の経験時間も大きい)長時間練習していることにもなります。また、両親どちらかが、子供に何がしかのスポーツをさせようと思っていた場合、経験式1の[練習効率]も跳ね上がります。

 つまり、子供のうちからうまい人は、ずっと上手いと思って間違いない。

 しかし、僕のような運動音痴はそもそも、正しいかわからない練習方法で、迷いながら練習するのです。迷いながらなのでフロー状態にはなれないし、練習効率も悪い、才能もないから練度は全く向上しません。しかも、このような状態でサッカー部に練習方法を聞いたとしても、先程の「マラソン初心者がマラソン選手に練習方法を聞く」と同じことが起こるだけです。

 

 さて、少し自分語りを。

 学生時代の僕は、高校時代は授業でサッカーが合っても、迷惑をかけづらい「サイドバックの隣」を任され、ボールを蹴っても飛ばず、むしろ足の指に激痛が走るほどでした。そんなんだから、全くスポーツは嫌いになり、スポーツを避ける人生を歩むつもりでした。

 しかし、大学に進学し、大学実行委員会がワールドカップの開催に便乗して、大学内のサッカー大会を企画したのです。仲の良いグループで出場エントリーを済ませ、実際出場してみました。

 僕だけが初心者だったため、サッカー部のキャプテンがセンターバックになり、僕はその隣という特に名前のないポジションに立っていました。

 流石、僕のチームは僕以外が非常に上手ということもあり何回か勝ち進みました。何もしていないけど、ゴールが決まってみんなで喜びを分かち合うのは気持ちが良いものです。

 しかし、僕の中で今でも鮮明に残る屈辱的な事件が起こるのです。

 相手は今で言う「陽キャ」のサッカーサークルチームで非常に上手く、グラウンドの横には彼らのパートナー達がキャーキャー言って応援していました。僕らはどちらかというと「陰キャ」側だったので、その「アウェイ」の空気に押され、0-0が続いていました。

 そんなとき、ふと相手のゴールキーパーの蹴ったボールが僕の方へ飛んできました。今まで何もしていなかった僕には、ボールを追いかけて拾い、またボールをクリアーする役目が渡ったのです。

 とりあえず、言われたとおり転がるボールを足で踏み、少しバックしてからボールを蹴ります。頭の中では完璧だったのです。しかし、足はボールに少ししか当たってくれず、ボールはその場でクルクルと回転しだしたのです。ドッと嘲笑を向ける相手の応援者達。青ざめる仲間たち。

 僕は焦って回転するボールをもう一度蹴るも当たらず、走行しているうちに、相手の選手がこっちに向かって来ます。

 キャプテンが「スコ丸、とにかく外に出せ!」と叫び、僕は場外にボールをパスして、事なきを・・・得ませんでした。

 すぐに相手チーム選手はボールをフリースローで中に入れ、一気に畳み込んできました。僕のチームのディフェンスはキャプテンと僕しかおらず、しかも僕は全く相手にならずキャプテンも3人で責められ1-0で負けてしまいました。

 終わったあと、チームが負けて悔しいというより、ボール1つ蹴られない自分の運動音痴加減にうんざりしました。

 

 しばらく凹んだ後、何故自分は運動音痴なのかを自問自答し始めました。

 僕は仲間内で数学と物理学は一番出来ていたので、勉強を教えていたりしました。勉強は出来るのに、スポーツは出来ない。そもそも、そんなことが本当に起こり得るのだろうか。

 勉強は記憶だけで、運動とは別物。そんなことがあるのだろうか。

 

 自分がスポーツに対して全く正面から取り組んだことが無かったことに気づいたのです。僕は物理学が好きですが、授業を受けただけで一番になることなんて絶対ありません。自分の時間に勉強をしていたから一番になれたのです。

 スポーツも同じなのではないのか。

 今まで、授業の時間だけスポーツをしていました。しかし、それは授業の時間だけしか勉強しないのと同じで全く意味がないのではないか。

 

 僕は真正面から取り組みたいと思ったときに、そもそも参考書がないことに気づきました。しかし、スポーツの参考書はないのです。有ったとしても、こちらの練度を考えてまで作成しているものもないし、下手したら子供用、監督用程度しかない。僕のような運動音痴用はない!

 

 絶望した僕は、ひたすらネットでサッカーのうまくなる方法を検索しました。殆どは役に立たない(僕のレベルに合わない)情報でしたが、その中で役に立ちそうなものはも「リフティングだけしてたら上手くなった件について」的な掲示板のスレッドでした。

 どうせ何も出来ないなら、このリフティングから始めてみようと思い、リフティングボールを買ってきてただひたすら毎日リフティングを行いました。毎日毎日リフティングです。始めの内は2回出来たら喜んでいた程度だったのが、二ヶ月もすると上手く行けば10回程度は出来るようになりました。このとき、練習している時間内で初めて「フロー状態」を感じることが出来ました。

 ずっとリフティングの練習をしていて、気がついたら2時間以上経っていたのです。

 

 この時、ボールの芯を捉えるとはどういうことか、ぼんやりとながらわかるようになってきたのです。

 これから僕はずっと毎日のワークとして、リフティングを導入したのです。

 きっかけさえ得てしまえば、後は続いていくもので、それからパスの練習や他の練習など友達のキャプテンの部活に協力してもらいながら行っていきました。

 

 それから社会人になってから、同僚達とサッカー大会に出ることがありました。結果は何勝かできました。僕としても、みんなと比べてそこまで悪い動きではなかったし、打ち上げではとても楽しかったと思えたことが大きかったのです。

 

 僕は、これをきっかけに「自己マネジメント」を少しだけ掴んだのです。自分を変える、コンプレックスをなくすという行動は必ずあります。

 ただ、その結果は思ったほど劇的なものではないかもしれません。僕も、この話の結末はなにかの大会で優勝したとか、周りから元サッカー部よりも上手いと言われるようになったとか、華々しいものであればどれほど良かったことか。

 しかし、現実は本当に上手い人は経験式のすべてのパラメータを上げているのです。付け焼き刃の運動音痴が叶うはずありません。ただ、あまり経験の無い人よりはサッカーは上手いとは言えます。そして、運動音痴的ではありません。

 このように、結果を欲しがりすぎたり、一回の練習で劇的に上手くなったりすることを目指さずに、愚鈍にただ毎日自分に合った練習を行うことで人生さえも変わってしまう、そしてその「自分で変えた人生」はこれからの人生もより良く変えていってくれるのです。